美術館のススメ

暇な時間を潰すにはお金がかかる。

例えば、アルバイトの出勤時間まで3時間ほど猶予があるとする。
あなたはその5時間をどう過ごすだろうか。

確かに家でごろごろするのはタダだが、退屈だ。
長い時間をネットサーフィンに費やすのも後悔のほうが大きい。

茶店でゆっくりするにしても5時間は長すぎる。
買い物をするのもいいが、買ったものをバイト先に持ち込むにしても、家に一旦帰るにしても手間が大きい。

ここでぼくは美術館に寄るという選択肢を出してみたい。

数百円で暇な時間が丸々潰すことができるお得な趣味だ。

よく、「美術わからないから」と美術館を敬遠する人もいるが、極論、美術鑑賞に必要な知識などない。知識が必要だと思ってしまうのは「この作品はこういうものだ」と「正しい解釈」だけを教える美術教育に問題がある。

美術鑑賞に必要なのは「感じる」と「考える」の2つだけだ。
高尚な精神性など全くいらない。

以下から具体例を挙げてやってみよう。

1:見たままを感じ取る

次の作品は千葉県立美術館に設置してある鈴木徹(現:鈴木武右衛門)の彫刻、「帰雲・春」である。

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ぼくは誠に失礼ながらこの像を見た瞬間、「でっかいう○こだ」と思ってしまった。
実に硬そうなうん○である。
こんなのが肛門から出ようものなら切れ痔確定である。

ぼくの感想で眉をひそめてしまった人がいるなら申し訳ない。
こういう解釈の仕方もあっていいという例を出したかっただけで、作品を貶める意図はまったくない。

少し考えてみてほしい。
同じ言葉でも受け手によって何十通りもの解釈違いが生じるのならば、美術作品にも受け手によって解釈違いが生じるのは当然である。

言葉と違うのは、美術はどう解釈しようと自由な点だ。
「こう解釈すべき」と注意書きもないし、この国には思想・良心の自由がある。
もし、作者が作者の思った通りの解釈しか認めないのならば、抽象的な表現をやめて作品の隣に文章で説明するべきであろう。

まずは「正しい解釈」を諦めて自分が作品に対してどう思ったか、どう感じたのかを考えてみてほしい。

2:作者の視点に立って考える

次はちょっと難しい。

先程の「帰雲・春」の例を続けよう。
「うん○みたい」という身勝手な感想は置いといて、作者の考えをなぞってみる。

……なぜこの石像に「帰雲・春」というタイトルをつけたのだろうか?

……そもそもこの石像は一体何なのか?

……石に入ったヒビや割れにどういう意図があるのだろうか?

……なぜ材料に石を選んだのだろうか?

こうした疑問に必ずしも正解が出なくてもいい。ただの憶測でもいい。
正解が気になったら作者について調べてみるのもいい。

そうして出てきた仮の答えと、さっき自分が出した見たままの感想を比べてみよう。
自分が見ている世界と作者が見ている世界の違いが見えてくる。

美術鑑賞とは自分と作者の(勝手な)禅問答のようなものだ。
自分と他人の認識の違いを静かに認め、他人の考えを静かになぞっていく。
忙しない炎上とは程遠く、じっくりと深い思考に耽けて精神を成熟させていく。

そんな体験が数百円でできると考えればお得じゃありませんか?