父親の話

ぼくは父親似か母親似かと聞かれると父親に似ている。特徴のない顔立ち、正義感が強く真面目な性格、視力の悪さは父親そっくりだ。母親は禿げた父を指して「あなたもいずれこうなるよ」とも言われてきた。

そんな父親は地理に詳しく、遠方に出かける際、車の運転をするのはいつも父であった。ぼくが小学校高学年〜中学生の頃、水泳が得意だったぼくは遠方の大会に出場するため、父の運転で現地まで向かうということがしばしばあった。
大会が開催されるのは土曜日や日曜日。月曜の学校に間に合わせるためには無理してでも夜中の高速道を走る必要があった。夜な夜な運転する父は眠眠打破やブラックガムを常用していた。ぼくと会話をしていればタダで居眠り対策ができたと思うのだが、ぼくの睡眠時間確保のためか父はそれをしなかった。あの頃の父親は無口だった。

あの頃の父親は観光業に勤めていた。それ以前に勤めていた輸送業の会社で母親と出会ったという。父の勤勉な性格は仕事仲間からの評判は高く、プライベートでの交流もあった。しかし、あるときから父は職を転々とするようになった。観光業から保険業保険業から警備業、警備業から建築業と1-2年足らずのサイクルで転職を繰り返した。ついには、転職先でリストラされ無職となってしまったのだ。

父が転職を繰り返す間、ぼくにも変化があった。一時は育成選手指定から代表入りまで視野に入っていた水泳の道を諦め、勉学1本に集中しようと決意したが、高校の指導についていけず不登校に。結局、公立の高校を自主退学して通信制を卒業。卒業後、大学受験のため予備校に通って浪人生活を送ることになった。

自宅から予備校はかなり遠く、いつも母親の送迎で登校していた。たまに母親が体調不良だったり早めに出勤するときは無職の父が運転する。
あの頃と違って無職の父は饒舌だった。父はいつも学生時代の話や仕事の理不尽なできごとを話していた。

ー不良たちにからかわれたけど真顔で反論して論破してやった
ー社長の息子がやらかしたのに自分に濡れ衣を着せられた
そんな話ばかりである。

父は勤勉で、真面目で、正義感が強くても、高卒であった。たまたま時代がバブルだったから就職できる場所があったものの、長期不況に入ると大卒でも就職難の時代になる。そんな時代に高齢で、高卒の、離職歴が多い父親がよい仕事に就けるはずがなかった。現に父が勤める企業は業界の有名企業から地元の中小企業へと転職を繰り返す度にランクダウンしていく。最終的に40代後半で無職となった父を見て母親は「もう就職できても退職金は望めない」と諦めていた。

正義感だけでは食っていけないのだ。

しかし、父はそんな現実を直視しないかのように息子に過去を語る。そんな父が少し哀れだな、と感じてしまった。

それと同時にそんな父に似ているぼくもこうなってしまうのかなと思ってしまう。
幼少期から正義感ばかりは強かったぼくは喧嘩の強い相手にも、女の子にだって間違ってると思ったら喧嘩をふっかけていた。ただ、高校に入ると自分の信念は否応なく無視され、教員たちの権力によって握りつぶされ、鬱になってしまった。大学に入った今だからこそ、自由にやれていて元気であるが、今後この自由が続くとは限らない。もし、また困難に直面したときに闘える武器はあるのだろうか。正義感だけの裸一貫で突っ込んだりしないだろうか。

幸い、僕には伯父(父の兄)に似て学がある。父が行けなかった大学にも行けた。大学での学びは少なからず役に立つだろう。

ぼくの大学入学後、父は地元の建築業の会社に就職した。仕事の愚痴は相変わらず聞かされるが、職は安定している印象を受ける。

何が父親を変えてしまったのだろう。この疑問はおそらくずっと解明されないままだろう。というよりむしろ、何者のせいにもしたくない。原因がわかったところで父もぼくも誰も幸せにならない。あるのは原因に対する憤りだけ。だったらわからなくてもいい。そんな気分だ。