「社会に関心を持つのはいいことだ」本当に?

とりあえずの謝罪
アルバイトをしてるとお客様のクレームと付き合うことになる。
多くはこちらの不手際で反省すべきものであるが、やっぱりモンスタークレーマーというのはどこにでもいるものだ。
最も困るのはその場で言えば説明するのに帰って本部なり社長なりに言いつけてくる人。
現場を知らない人間で、立場が上の人間なほどお客様に弱いものはない。
上の者はとりあえず謝罪することが定石なのである。
クレームの内容がスタッフの正しい判断によるものであっても。

「上級国民」それ本当?
「上級国民」なる言葉が昨年から流行している。
流行の背景に元官僚がひき逃げしても「上級国民」だから逮捕されないという一般国民の怒りがある。
しかし、元検察官や弁護士といった現場の人間は、別の理由があって逮捕が遅れたという。
ひき逃げ犯が車の故障を主張したことでその調査で遅れ、50万人が重い罰を科すべきという嘆願書の署名の確認にも時間を要したという。
まさしく国民の常識は現場の非常識であった。

戦前の国民嘆願
実は、同じようなことが戦前にも起きていた。
軍部のクーデター未遂事件である、五・一五事件では政治家や財閥の人間が多数暗殺されたが、国民はこれを支持した。
当時、すさまじい不況で特に東北地方での悲惨な実態が新聞で伝えられており、軍部の一部がその原因は政治家と財閥にあると怒って事件を起こしたものだったからである。
国民は犯人らの減刑嘆願書に署名し、当時としては異例の軽い刑となったのだ。

しかし、これは状況をさらに悪化させるものになってしまった。
というのも、軍部の人間はそれなりの大義名分があればクーデターをしても許されるとみたのだ。
結果、二・ニ六事件を起こされ、軍部の発言力は抑えきれないほど強くなってしまった。

実態はどうであれ、日本は民主国家であるから一般国民には逆らえない。
非常識なクレームに「とりあえず謝罪」をせざるを得なかったのか。

社会に関心を持つのはいいことだ。ただ…、
現代のひき逃げ事件にしろ、戦前のクーデターにしろ、国民の社会に対する関心がうかがえる。
しかしながら、「現場の非常識」に基づくクレームは社会の機能を麻痺させかねない。
社会に声上げる国民に必要なのは理性という教養である。

エリート支配でもなく…
しかし、私は「無知な国民は黙ってエリートに従えばよい」とも思わない。
権力は制限するに越したことはない。
エリートの側にも国民に対して説明責任を果たす責務がある。

デマ・陰謀論を超えて
民主制の前提にあるのは一人一人の理性ある個人の存在だ。
逆に言えば、国民の理性がなければ民主制も崩壊する。
民主主義を維持したいと考えるならば感情論で裏取りもせずにデマを信じるのではなく、「現場の常識」を学ばなければならない。