キハ66引退に寄せて

あらかじめ前置きしておくが、私は「鉄オタ」と言えるほど知識があるわけでもない。キハ66を日常的に利用していた訳でもない。
しかしながら、私にとってキハ66は、私の半生を本にまとめたとすれば、一行くらいには載るであろう存在である。
そんな「彼」が引退するらしいので一言言わせてもらいたい。

キハ66は、1974年から75年にかけて製造された国鉄気動車である。
気動車とは、電気を動力源とする電車とは異なり、燃料を燃やしてエンジンを回すことで走る列車のことである。
採算が取れない田舎の鉄道には重宝するのだ。
元々は新幹線が博多まで延伸するのに伴って、筑豊・北九州地区の新幹線連絡輸送に投入された車輌だ。
当時としては新幹線にしか用いられなかったような技術が用いられた近郊用としては贅沢なものであった。

そんな「彼」が私のふるさと、長崎にやってきたのは2001年だった。
塗装も大胆に一新し、大胆に青を用いた。
運行を担当する大村線快速「シーサイドライナー」に合わせてのことだ。
長崎では年下の後輩であるキハ200とともに、海沿いの路線を走ってきた。

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当時の私はというと、機関車トーマスから鉄道に興味を持ち、旅行で九州鉄道博物館に連れて行ってもらうくらい現実の鉄道が好きになっていた。
しかし、どちらかというと平べったくてスマートな顔立ちをしているキハ200の方が好きだったと記憶している。

当時の私に古くさいと思われていたキハ66だが、2010年以降、カラーバリエーションが豊富になったのである。
以前からある青に加えて、

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昔ながらの国鉄急行色復刻バージョンに、

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ハウステンボスバージョン、

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さらには期間限定でKis-My-Ft2(長崎デスティネーションキャンペーンイメージキャラクター)バージョンまで存在した。

色は新しく変えても国鉄型車輌の面影が残ってるそのギャップに惚れ惚れしたものである。

加えて、大村線という路線の景色の良さも相まって「彼」は何倍にもかっこよく見えたものである。
いつしかうるさい走行音も大村湾の水面の前には心地よくなっている私がいた。
「彼」はもう、よそ者ではなく長崎の顔であった。

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そんな「彼」も引退のときが近づいている。
2020年3月のダイヤ改正で新型車輌投入のために全14編成の廃車が予定されているのだ。
確かにこのご時世で走行音がうるさい、バリアフリーなんか考慮されてもない、改造に魔改造を施したオンボロ車輌が淘汰されるのは当然であろう。

しかしながら、私は忘れない。
朝霧に包まれた街を走る「彼」を。
瞼を重くする学生たちを運んだ「彼」を。
その境目もわからないほど青々とした空と海のそばを走る「彼」を。
地元サッカーチームのサポーターの興奮を運んだ「彼」を。
現川のトンネルを闇雲に走った「彼」を。

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そのどっしりとして飾らない国鉄型の風格は後世に語り継がれるだろう。