ぼくは何者にもなれない

悲観的なタイトルに思わせてそんなことはありません。安心してください。ぼくは元気です。

こんなめんどくさいテーマで申し訳ないんで、申し訳程度に今年の写真載せておきますね。

世間的には感染症のせいで厄年だった今年ですが、ぼくは本格的なサークル活動を開始した年でした。まあ、普段からぼくのイラストや文章を見てらっしゃる方はわかりますが、万人受けはしない作風ですし、例の感染症のせいでイベントでの露出機会も大幅に減ってしまいました。エアイベントなんてのは既存の有名サークルしかピックアップされず、我々、新規小規模サークルが日の目を見てもらうことは難しいんですよ。

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今年は一回しか行けなかったビッグサイト

さて、ぼくは生まれてこのかた、欲しい物リストから荷物が送られてきたこともありませんし、Twitterのフォロワーも最近100人に乗ったばかりで、いいねが5もくれば珍しい方です。

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(2020/12/20追記)こんな事書いてたら、欲しい物リストから豆乳飲料と色鉛筆をいただきました。本当にありがとうございます。

おそらく、他人にとっての自分とは、そのへんの石程度なんだなと思うんです。だからといって、自分に注目してくれない他人を責めたり、自暴自棄になったりするのも違うんですよね。一般的には、「注目されたかったら努力しろ」というのが模範解答な気がします。

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雀卓を買って友人と麻雀もしてました。(写真は一人でやってる)

ただ、ぼくがインターネットをやってるのはあくまでも趣味の範囲ですから、そこに本気になれるのかと聞かれると首を横に振りたくなる。確かに、趣味に本気になれる人は素敵だと思うんですけど、最近はどの界隈も趣味の本気レベルが異常に高くなって、レベルの高い部分ばかりがネットで注目されています。そこに登りつめるための努力によって自分や他人を危険にさらしてしまうケースも出てきました。

迷惑行為を繰り返すYouTuber、健康に支障をきたす姿勢を長時間続けるe-sportsチーム、アメリカをヒッチハイクで横断しようとして現地で補導された中学生……。

本業なら努力する利益はありますが、趣味は夢中になればなるほど私生活とのバランスを破壊しちゃいます。だから、「趣味はほどほどに」というのがぼくの持論です。

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夜中に30キロほど散歩もしました。

なにも、「成功するのはほんの一握りだから諦めろ」と言いたいわけじゃありません。「趣味を社会的成功の手段として用いると何も楽しくなくなる」ということです。本当に成功したいなら努力すればいいと思いますが、ただ漠然と「注目されたい」、「ちやほやされたい」だけであれこれ挑戦してると迷走します。そして、努力の割に見返りがなくて悲観的になる、攻撃的になる。この罠にはまって隅でずっと文句ばかり言ってる人を見ると「残念だなあ」と思います。

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杏仁豆腐味の豆乳好きなんですよね。あまり売ってないんでアマゾンでまとめ買いしてます。

人は生きるということに資格という他者からの承認を求めがちなんですけど、そんなのなくても飯食って寝てれば生きられます。屁理屈抜きにしても、生きる資格が有ろうと無かろうと、現に生きているじゃないですか。

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割引制度使って一人でホテルに泊まってたりもしてました。これはそのときの朝食。

まあ、生きる上でコミュニティは必要不可欠ですから、自分の所属するコミュニティの住み心地が良ければいいんですけど、自分に合わないと感じたら黙ってさっさと抜けるのが吉ですよ。過去のコミュニティの幻影に固執してずっとブツブツ言ってても空気は悪くなる一方じゃないですか。不満な輪の中にいる他人もまた人間で、自分とはまた別の領域ですし。

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一時期、コンビニの冷奴買って食うのが好きでした。おいしいよね。

自慢じゃないですけどぼく、ツイッターのアカウント5個ぐらい作っては消し、大学のサークルは3つ入ってたけど一年で全部辞めちゃいました。集まりもめんどくさそうだったら二回目は来ないってのを繰り返してますし、その究極が高校中退して通信行くという選択でした。自称「コミュニティの渡り鳥」だと思ってます。

コミュニティを抜けるという選択は得るものより失うもののほうが多いから怖いと思われるかもしれません。正直、自分でも後悔することは多々あります。でも、今の生きやすさは自分の居場所を取捨選択できたからだと思いますね。

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献血10回記念で杯をいただきました。

コミュニティにとどまる時間が短いと他人からの認知度も低くなります。だから、相変わらずぼくは何者にもなれない。それでいいじゃないですか。それで生死が分かれるわけじゃないんですし。他人が褒めてくれないなら自分で自分を褒めてあげましょう。自分にとって最善の選択をするのは他人ではなく、自分自身です。

あ、だからといって、今ぼくがどこかのコミュニティを抜けることは無いので安心してね。(おわり)

セブンイレブン消費税計算の闇(考察編)

この記事は特定の企業の対応を検証するものです。
事実確認には細心の注意を払っていますが、執筆者はただの大学生なので情報収集にも限界があります。
事実と異なる箇所、誤解を招く表現があればご一報ください。
可能であれば修正、致命的な欠陥があれば非公開にして謝罪します。

前回のまとめ

この記事は前回の「セブンイレブン消費税計算の怪(事実整理編)」の続編です。まだ見てない方はそちらからご覧ください。

前回の内容を時系列順に並べると、
①2004年、国は消費者が支払うべき総額がわかりやすいように消費税を含めた総額表示を義務付ける制度を実施した。
②①の施策に関連して、会計時に税抜の総額から消費税を計算することを認めた特例を廃止した。
③しかし、事業者によってはレジのシステム更新に時間がかかるため、2023年9月末まで②の特例を利用してもよいという猶予期間を設けた。
④2019年9月、セブンイレブンは軽減税率の導入を理由にレジの消費税計算方式を従来の商品ベースから総額ベースに変更(②の特例を利用)した。
⑤しかしながら、③のように2023年9月末までにセブンイレブンは総額ベースの計算方式をやめなくてはならない。

 前回は一見不合理に見えるセブンの対応に疑問を投げかけて終わった。今回はセブンがこのような対応をした理由を考察する。ここからは大いに個人の主観的な部分が含まれるので鵜呑みにしないよう注意をお願いする。

小銭を稼ぐため?

 最初に思い浮かぶのは「通常よりも多く取って売上を上げるため」という説である。特にコンビニのような24時間営業の小売店では1取引あたり1円も馬鹿にできない。業界最大手のセブンなら1日に何百万もの取引が行われているのも用に想像がつく。

 しかし、消費税は事業者が納入する税金である。店舗売上から一定割合を消費税として納めなくてはならない。消費税として客から取った分をすべて国や地方に納入すれば、得られる利益は0なのでは?と思うかもしれない。

 実のところ、事業者は客から消費税として得た分をそのまま納税するという方式をとっていない。事業者の年間総売上から消費税を計算するという方式をとっている。例を上げて見ていこう。

 例えば、税抜93円、消費税率8%の商品を購入する取引が3億回行われたとする。
商品単価から消費税を計算すると税込100円である。
この方式での売上は、
100×3億=300億(円)で、
売上から国や地方に納める消費税分を引くと
300億×100/108≒277.78億(円)となる。

 次に、税抜93円の商品が3つ購入された取引が1億回あり、各会計時の総額に8%の税率が適用されたパターンを考える。
この方式において、一回の取引における売上は、
93×3×1.08=301(円)で、これが1億回行われたから、
301×1億=301億(円)が総売上だ。
総売上から国や地方に納める消費税分を引くと、
301万×100/108≒278.7億(円)

 やはり、計算方式で差額が出てくるようである。また、取引回数が増えれば増えるほど得られる利益は大きいようだ。

将来のイメージアップ宣伝?

 軽減税率導入時に起きたセブンの301円問題は日刊ゲンダイITmediaなどが報じていたが、私の目で確認する限り、国の特例を利用したということまでは踏み込んでいなかった。つまり、一般の人々に301円問題の本質は知られていないということだ。

 2023年10月までにセブンは総額ベースの消費税計算方式を商品単価ベースに戻す必要がある。私はこの2023年秋頃にセブンは「新計算方式で少しお得になった」と広告するのではないかと考える。
 3年という年月が経過すれば301円問題の記憶は風化されているだろうし、新計算方式で消費者が得をする可能性があるというのは事実である。これを宣伝すれば企業のイメージアップが図ることができる。

 しかし、これまで検証してきたように301円問題の本質は本来国が特例の対象に想定していない事業者が、特例を利用したことにある。これを利用して企業のイメージアップを図ることは、以前から指摘されている上げ底や内容量を減らしただけの商品リニューアルと類似したものを感じる。

 業界最大手の大企業が3年後、私の予言通りに宣伝しないことを切に願うとともに、この記事の読者が3年後も301円問題の本質を覚えていていただけたら幸いである。

セブンイレブン消費税計算の怪(事実整理編)

この記事は特定の企業の対応を検証するものです。
事実確認には細心の注意を払っていますが、執筆者はただの大学生なので情報収集にも限界があります。
事実と異なる箇所、誤解を招く表現があればご一報ください。
可能であれば修正、致命的な欠陥があれば非公開にして謝罪します。

君は301円問題を知っているか

301円問題とは、セブンイレブンで税込100円の商品を3つ買うと総額301円になるという問題である。
セブンが小学生レベルの計算ができないわけではない。計算の方法を変更したのである。

詳しくはこちらを見てほしい。
「100円×3個=301円」問題でセブンが公式に謝罪 見習うべきは「イオン方式」か
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1910/11/news026.html

要するに、セブンイレブンは2019年9月16日から消費税の計算を商品ごとに行うのではなく、税抜の合計金額に消費税分を加算する方式に変更して、(https://www.sej.co.jp/var/rev0/0002/2290/11996125654.pdf)客の混乱を招いたのだ。

セブンはこの対応を謝罪。(https://www.sej.co.jp/company/important/201909062030_copy.html
しかし、この対応は現在も続いている。

国の方針と逆行?

2004年4月から、広告や値札に総額表示義務が課せられた。
これは、「税抜93円(税込100円)」のように消費者が商品購入のために払うべき総額を表示しなければならないものだ。

ここで301円問題を思い出してみよう。
「税抜93円(税込100円)」と表示されていれば、客はこの商品を1個購入するために必要な金額が100円だとわかる。2個なら200円、3個なら300円…といきたいところだが、3個になると突如として301円になるのだ。

これでは総額表示義務の意味がない。
国はこの問題に対してどう対策しているのだろうか。
実は、明確な答えが財務省によってなされている。

限りなくクロに近いグレー

その回答がこれである。
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/consumption/a_001.htm#16

少しわかりにくいので、解説を加える。
①そもそも、93×3×1.08=301.32という総額ベースの消費税計算は旧消費税法施行規則第22条第1項の特例で認められたものである。
②しかし、この制度は税抜価格の表示を前提としたもので、総額表示義務制度ができたことからかえって混乱をもたらすと考えられ、廃止された。
③ところが、従来の総額ベースで計算を行うレジシステムから新しいレジシステムを導入するには手間がかかる事業者もいるため、2023年9月30日まで猶予が設けられた。

つまり、2020年現在において総額ベースで消費税の計算を行うことは違法ではないが、2023年10月までには商品ごとに消費税の計算を行う新システムを導入しなければならないということである。

ここで、一つの疑問が生まれる。
「なぜ、セブンイレブンは新システムから将来更新しなければならない旧システムをわざわざ導入したのか?」ということだ。

財務省が先程の記事で説明しているように、「総額表示への移行後も従来の『税抜レジシステム』を用いた場合には消費者との間でトラブルが生じるケースがあるため、『税込価格』を基に計算するレジシステムに移行されていくことが望ましい」のである。
『税抜レジシステム』ついてセブンの広報は軽減税率導入のためと説明している(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/262202/2)が、将来的にこの方式はやめなければいけないこと、かえって客の混乱を招いていることを考えれば納得できるものではない。

この答えについては次回の考察編で考えてみようと思う。

「障害」か「障がい」か、それは問題か?

近年、「障害」という語句を「障がい」「障碍」と書き換えようという動きが見られる。例えば、
・日本障がい者スポーツ協会
・日本身体障がい者水泳連盟
など、パラスポーツ関連の団体に多い。
しかし、
・日本知的障害者水泳連盟
・日本障害者スキー連盟
のように、同じパラスポーツ団体でも「障害」の語句を使用しているところも存在する。

「障害」の「害」の字がマイナスイメージであることからこれを忌避するために「障がい」や「障碍」を用いるようになり、地方自治体や障害者の団体もこれを利用するようになった。

このような動きに対して障害者の私は疑問的だ。
以下にその理由を何点か分けて記す。

歴史的解釈

戦前、「障害」は仏教語からとった「障碍」と表記されていた。
しかし、戦後になると「碍」は使用頻度が低いことから常用漢字から外され、「障害」と表記されるようになった。

このことから、「障害」表記は常用漢字の範囲内に収めたいという行政側の便宜をとっただけにすぎず、「害悪」のような意図があるわけではない。

文理解釈

「障害」は「障害者」だけでなく、「障害物」や「障害走」という語句にも用いられる。「障害物」や「障害走」における「障害」とはその人にとっての障壁であって、社会全体の障壁ではない。
それなのに「障害者」の「障害」だけ社会全体の障壁と解釈するのは文脈を無視した結論ありきの議論のように思える。

本音と建前

「障がい」や「障碍」表記にこだわる人々に対する最大の違和感は
「障害者本人の『できないこと』に対して無視したり過小評価している」
ことである。

私は脳性麻痺で左腕が思うように動かない。
それゆえ、両手で物を持つことも困難で、自転車にも乗れない。
私の他にも、足がなくて階段が登れぬ人がいる。
目が見えなくて、映画が見れぬ人がいる。
脳の発達が遅くて、成人しても一般企業で働けぬ人がいる。

それは明らかに本人たちにとっての障壁であって、彼らにとっての「害」にほかならない。そして、平等な社会に近づけるために社会全体で障害を持つ人達を支える必要があるのだ。

しかし、「障がい」と書き換えようという人々の考えの裏には、既にこの社会は完全な平等を達成していて、障害当事者たちの困難に目を向けず、呼称の面において障害者たちを健常者と同じ水準にするだけでよいという考えが透けて見えるのだ。

そもそも、「障害」を別の表記に書き換えたところで当事者たちの困難が解決されるわけではない。これを別の表記にすることはむしろ、当事者たちの身体的社会的制約から目を背けさせ、障害者と健常者の権利的な平等を確認する形式的な手段にしかならない。
身体モデルとか社会モデルとか以前の問題である。

ここにリベラルの本音と建前が現れてくる。
要するに、「障害者と健常者が権利的に対等なのは認めるけど、障害者特有の困難には目を向けないよ」ということだ。リベラルな彼らにとっては「平等に近づける」ことより「平等である」ことのほうが重要なのかなとも思ってしまう。

障害者手帳を持っていると、半額で電車に乗れる、障害年金がもらえる、博物館や美術館の割引が受けられるといった恩恵が受けられる。これを「特権」と見るか、「保障」と見るかは当事者たちの困難の知っている度合いで大きく違うのだが、私は少し心配である。

参考文献

「障害」の表記に関する検討結果について(2010年11月22日)
内閣府障がい者制度改革推進会議「障害」の表記に関する作業チーム

障害、障碍、障がい その表記の違いはいつから?(2019年3月7日)
WHILL株式会社

自由競争の浸透とポストオタク文化への変容

まず最初に断っておきたいが、これは趣味で書く論文のアブストラクト的文章である。内容はぼく自身の社会に対する疑問・問題提起だが、長文ツラツラと書いて世の中に物申す的な文章ではない。これらの問題提起に関する調査が済んでいないため、その真偽について鵜呑みにしないでほしい。

元来、漫画・アニメ・ゲームといったオタク文化は個人で楽しむものとされてきた。その証左に、多くの学校では漫画の持ち込みは禁止され、「萌え絵」が公共空間に登場することはごくごく稀なことであった。また、2000年代前後に多発した少年犯罪とこうした文化に関係性があるとの味方もあり、世間の支持は得ているとは言えない状況であった。

2020年現在、世間のオタク文化に対する理解はかなり進んできたように感じる。「ゲーム実況者」なる職業が誕生し、漫画的手法を用いた二次元イラストも公共空間を飾るようになった。さらには、オタク文化に詳しい政治家も登場し、「表現の自由」を守るグループの一派を築いている。

この20年でだいぶ状況が改善したと思われるのかもしれないが、2000年代の「オタク文化」と現代の「オタク文化」には大きな違いが見られることも指摘しなければいけない。

前者の「オタク文化」は前述したとおり、個人単位で楽しむことが前提である。ゲームの通信対戦は機能が限られており、ソロプレイのおまけ要素程度だったし、SNSが未発達だったため、漫画やアニメの感想を共有する場は限られていた。
しかし、後者の「オタク文化」はインターネットによるコミュニティに属し、そのコミュニティ野中で楽しむものとなった。PUPG、荒野行動、フォートナイト、APEXなどのバトルロワイヤルゲームが流行し、SNSを通じて漫画やアニメの感想を言い合ったり、布教することもできるようになった。

ここで一つの仮説にたどり着く。現代に近づくにつれ世間が「オタク文化」に理解を示したのではなく、実際のところ「オタク文化」が世間の理解が得られる形に変容しているのではないか。
ここで、現代のオタク文化を「ポストオタク文化」と呼ぶことにする。

今までのオタク文化というものは、若い凶悪犯罪者と結びつくような、暗く、孤独で、引きこもりのイメージとして語られることがあるほど社会から隔絶されたものだという認識であったのではないか。
一方、ポストオタク文化は先述したような通信対戦、SNSというように、社会的なものを内包している。社会との繋がり抜きでは語ることのできないものでないだろうか。

ここで問題になるのが、社会から取り残された人々の受け皿であったオタク文化がポストオタク文化へ変容することで、人々は否応なく社会との繋がりを強制されることである。
最近では、不安を煽るようなコロナ報道を避けて読書・映画という社会から切り離された領域に非難する人々も多い中、ポストオタク文化に社会から隔絶された領域はあるのだろうか。
某アニメでは監督の意図しない降板をきっかけにSNSで場外乱闘が発生した。オタク文化を敵視するある弁護士は広告にあった女性のイラストにイチャモンを付けたことでネットは炎上。あるゲーム企業が動画クリエイター事務所と著作権包括契約をしたところ、他社のクリエイターの配信が違法になるのではないかと憶測を生み、これも炎上。
こうした炎上案件には枚挙にいとまがない。

また、インターネットの発達は競争のグローバル化をもたらした。
自分の絵をネットに投稿しようものなら、「神絵師」と簡単に比較対象にされる。ゲームはeSportsとして競技化され、世界トップレベルで競争が行われている。アニメのようなコンテンツを消費する側にもこうした競争は顕在化し、推しに貢いだ金額も競争の対象になる。
社会から取り残された人々の受け皿がもはや、勝者と敗者を生産するものとなってしまっている。

ポストオタク文化への変容は自由化とグローバル化という世間の潮流から致し方ない部分もあるのかもしれない。しかし、自由競争による勝者と敗者の生産と「コンテンツの前に平等」というオタク文化の理想モデルの共存はできると信じている。この両者がどのようにして歩み寄るのか、その方法が模索される。

選ばれなかった住民のために

空前のどうぶつの森ブームだ。ファンにとっては長年待ち望んだ新作の発売ということもあったが、昨今の外出自粛で日本のみならず海外でもこのゲームの人気が高い。

当のぼくはスイッチを持ってないので流行に完全に取り残された。Twitterのタイムラインに流れるキラキラした雰囲気を傍目にぶつぶつと無関係なことを呟いている。
未プレイではあるものの、毎日タイムラインに流れてくるのでどういうゲームなのか、みんながどういうプレイをしているのかというのはうすうす知っている。

先日、ある海外のプレイヤーがこの「あつまれどうぶつの森」に登場する住人カードの取引価格を元にした住民の格付け表が公開した。この表は日本にも出回った。この表の上位の住民を住まわせるために人気のない住民を追い出すというプレイ(いわゆる「厳選」)をする者も現れた。この行為はたちまち議論の対象となった。
その議論とは「いくらゲームの中の存在といえど気に入らない住民を追い出して好きな住民を誘致するという方法はいかがなものか」というものである。
ぼくもそのような疑問を感じることはあれど、他人のプレイに口を出す権限などない。そもそも未プレイだし。
だからこの件に関しては「どーでもいい」「そういうプレイもあるよね」というのがぼくの結論である。
しかし、住民厳選勢と厳選否定勢がそれぞれどういう思考回路でこのゲームを遊んでいるのだろうかと考えてみたくなった。以下、ぼくの勝手な考えである。

住民を厳選するという人々は理想をゲームに反映させたい人ではないだろうか。既にSNSや動画サイトにはこのゲームを用いて別のゲームを再現したり、現実の景色を再現したりする投稿が多くある。自由度の高いゲームだからこそ努力が如実に表れるために効率を重視したり見栄えを重視したくなるのだと思う。

一方、厳選をしないという人々はこのゲームを現実の延長として捉えているように思える。特にこの外出自粛で思うように遊べない人々はこのゲームの中で虫を捕り、魚を釣り、花見をする。現実の延長だからこそゲーム内のキャラであっても現実の人間のように扱い、どんな住民も追い出さないのではないか。

どちらのプレイも良い悪いなど存在しない。所詮、このゲームの捉え方に過ぎないのだから。


ただ、最近ぼくが感じるのはこのゲームに限らず前者のようなプレーがSNS等で目立つようになり、ゲーム自体の敷居が高くなってはいないかということだ。
上手いプレイはSNSによく映える。リツイートもたくさんもらえるし、動画の再生回数も伸びる。結果的に上手いプレイばかりが見られるようになる。そして、人々はそのプレイが一般的な水準だと思い込み、これに満たさない自分の技術に見切りをつけてしまう。
例を挙げてみよう。昨今の格ゲー界隈は上級者と初心者のレベル差が大きく、初心者がなかなか入りにくいものとなってしまった。また、FPS等ではオンライン対戦とチャット機能の充実により他人の脚を引っ張らないプレイが要求され、相手が悪いとチャットで罵倒され、酷い場合にはネットに晒されるというリスクもある。

この現象はゲームを競技として扱うeSportsやRTAの発展によりますます加速していくものと思われる。ゲームは最早年配の方が思うような「家で一人引きこもって細々とやるもの」ではなく、「ネットを用いて大勢で競うもの」となってしまったのだ。

香川県のメディア規制条例に反対する人たちの多くは「ネット・ゲームをするから不登校になるのではなく、不登校の子どもがそれに頼っている」と訴えた。しかし、高くなるゲームの敷居はそうした子ども達の受け入れをしてくれるのだろうか。ゲームそのものがゲームのできない人々を追い出して上手い人が来るように「厳選」してはいないだろうか。

ただ、この問題が難しいのは有効な解決策がないためである。国がゲームについて規制するなど馬鹿馬鹿しいし、ゲームが上手い人に「自重しろ」と言ってしまえばそれこそゲーム業界の終わりである。だからぼくはこの問題についてああしろこうしろとは強く言えない。

ただ、「厳選」から漏れて選ばれなかった人がいたとしても、彼らに人権は当然あるし、それで人間としての条件を欠く訳でもないと信じている。
「選ばれなかった住民」はどこにでもいて、どこにも見えない人たちだ。そんな人たちにもささやかな笑顔で接すれば、もっといい世の中になるのではないだろうか。

外出自粛中のネット処世術

皆さんどのようなstay home生活をお過ごしでしょうか。緊急事態宣言も延長される中、ストレスも多いことだと思います。そこで少しでもストレスフリーな生活を過ごせるようにぼくが実践していることを紹介したいと思います。

負の感情をコントロールしよう

まずこれに尽きます。ストレスフリーな生活のためには負の感情は最小限に抑えることが大事です。

まず、この動画を見てください。

youtu.be


日本赤十字社が作成した「ウイルスの次にやってくるもの」というビデオです。負の感情がウイルス同様に社会に深刻な影響を与える危険性を指摘しています。

情報が大量に出回る今、自分に関係ないことにもいろいろと感情を持ちがちです。あなた一人が怒ったり悲しんだりしても状況は変わりません。むしろ、そうした感情は誰かを攻撃するエネルギーになり、それから逃れるために症状を隠したりと世の中的にもまずいことが起きてしまいます。

だからこそ、抑圧的な自粛期間中だけでも楽しくすごそうと提案します。

情報をシャットアウトしよう

hiida.hatenadiary.jp

この件については前の記事にも書きました。ニュースを見て必要以上にストレスを感じるならば、見なくてもいいのではないかという記事です。

この手の話題をすると「○○が無能なのに叩くなと言うのか」とお怒りになる方々もいるのですが、叩くのは後から、ね。「今は」みんなつらい思いしてるから人に優しくなろう

どうやって情報をコントロールするのか

負の感情を伴うニュースを流す人はどこにでもいたりします。取り締まってほしいと思われるでしょうが、権力がそれをやると言論統制になってしまいます。ここは不快な情報を見つけ次第視界に入らない場所に置いておく自己防衛が必要な訳です。

まず、テレビは消しましょう。ぼくの家にはテレビが無くてどんな報道をしているのか知りませんが、ワイドショーは相当酷いらしく現場の医師の方々からツッコミが来ているそうです。
テレビの代わりにラジオをつけましょう。ラジオ番組は曲をかける時間が長く、最小限のニュースしか流れてきません。ぼくのおすすめは千葉のラジオ局、BayFMです。局を通して楽しく自宅で過ごせる番組作りを意識しているようで、快適に聴くことができます。
家にラジオがなくてもスマホアプリ、Radikoで聴くことができます。

次にネットです。ヤフーではなくグーグルを使いましょう。ヤフーのトップ画面は余計な情報が多く、ついつい見てしまう煽り記事も多いです。
ツイッター単語ミュート機能を駆使しましょう。その人のリツイートをタイムラインに表示しないこともできます。ツールに疎いのならば即ブロックするのもおすすめです
ブロックすることに抵抗がある人がいると思いますが、他人をブロックしたって気づかれませんし、ブロックしても誰かがペナルティを被る訳でもありません。まず自分の心を守りましょう

最後に、上の記事でも紹介しましたが、線香やアロマキャンドルを焚くと気持ちが落ち着きます。ぼくは家にあった蚊取り線香をつけています。おすすめですよ。

それでは楽しいStay homeライフを。